
「『映画のまち』を目指してほしい」。原田眞人監督は生前、トークショーやインタビューで彦根に何度もエールを送っていた。
彦根城をはじめとする歴史遺産や琵琶湖などの自然環境だけでなく、市民のバックアップ体制が業界内で広がり、ここ数年は国内だけでなく海外映画の撮影にも使用されるようになった。
「単なるロケ地ではなく地域活性化につなげ、映画のまちとして根付かせたい。その一手が『彦根映画祭』だった」。市エンタテインメント課の山田竜平さん(41)は振り返る。
映画祭構想が本格的にスタートしたのは2025年1月。原田作品の3分の1以上でタッグを組んだ映画プロデューサー・鍋島寿夫さん(72)らをメンバーに実行委員会が設立された。
ただ、実現に向けては大きな壁があった。財政難に苦しむ市にとって、全国規模の映画祭を開催する資金を捻出する余裕はない。活路として用いたのが、企業や市民らに支援を募るクラウドファンディング(CF)だった。
新たな取り組みに賛同する人の輪は広がり、25年4月から2度にわたってCFを実施すると、一般の寄付金と合わせて計約1590万円が集まった。山田さんは「市民の期待の大きさを肌で感じた」と話す。
資金のめどがたち、初めての映画祭開催の準備が整ったときだった。同年12月、原田監督が76歳で亡くなった。関係者は喪失感に覆われたが、やるべきことは一つしかなかった。「映画祭を必ず成功させる」
◇
初めての映画祭は26年3月に開催することが決まった。機運を高めようと、市は開催を前に、これまで市内でロケをした映画の中から「印象に残っている作品」を市民から募った。
上位10作品には、吉永小百合さん主演の「青い山脈」(1963年)や市フィルムコミッション室設置の契機となった「偉大なる、しゅららぼん」(2014年)、興行収入23億円超のヒット作「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~」(23年)などと並び、原田監督の遺作「BAD LANDS バッド・ランズ」(23年)と「関ヶ原」(17年)が入った。映画祭の上映作品に「バッド・ランズ」が選ばれるなど、原田作品の人気が改めて証明された。
「また来年も」。映画祭最終日の3月29日。クロージングセレモニーに登壇した鍋島さんらが観客に向かって呼びかけた。拍手が鳴りやまない中、山田さんは観客席の後方からその様子を眺め、喜びをかみしめていた。
次回以降は若手の監督やプロデューサーの登竜門、支援の場と位置づけ、作品コンペも検討されている。鍋島さんは「ここから原田監督のような映画人が生まれてくれれば」と願い、山田さんは「『映画のまち』として定着するまでやるしかない。それが私たちの監督への恩返しです」。
(この連載は清家俊生が担当しました)
出典:読売新聞オンライン
掲載について
本ページでは、読売新聞オンラインに掲載された記事のうち、滋賀県に関連する記事を一定の基準に基づいて紹介しています。掲載は、特定の人物・団体・出来事に対する当サイトの評価を意味するものではありません。
