
水なすやビワマスが100円――。大津市中心部の商店街が3か月に1度、第1土曜日に開く「大津100円商店街」が、2011年の初開催から15年となった。大型店などに客を奪われがちなアーケード街も、その日は大勢の客が列をなす。商店主らは「イベントをきっかけに、人とのつながりが生まれる商店街の魅力を知ってもらえたら」と話している。(武井彩留)
9月5日、100円均一商品の販売が始まる午前10時の少し前。「ナカマチ商店街」(菱屋町、長等、丸屋町の3商店街)の各店舗前では、100円玉を握りしめた老若男女が商品をのぞき込み、何を買おうかと思案していた。実行委員長の「丸二果実店」店主、寺田武彦さん(73)は「15年前、こんなに人だかりができる商店街は想像できなかった」と目を細めた。
高度成長期、大津駅近くの好立地にある商店街は「肩がぶつかるほどの往来があった」(寺田さん)。しかし、1976年の西武大津店開店やマイカーの普及に伴う郊外店の誕生などで徐々に客足が遠のき、90年代からシャッターを下ろす店が目立つように。商店主らはプロ野球・阪神タイガースの選手だった掛布雅之さんらのサイン会といった集客イベントを行ったが、出費の割には店の売り上げにつながらなかった。
転機は2010年9月。大津市と地元商工会議所が山形の成功例を参考に100円商店街を提案した。「何とかせんといかん」と旗振り役を買って出たのが、菱屋町商店街の理事長を務めていた寺田さんだった。
同様のイベントを行っていた大阪市の商店街で撮影されたビデオを手に組合員の店を1軒ずつ回り、店主らに説明した。市長とラジオ番組で「商店街が変わります」とアピールし、大津駅長に告知ポスターの掲示を頼んだ。懸命な姿に、「どうせやってもあかん」と後ろむきな声もあった商店街は立ち上がった。
湖魚のつくだ煮などの定番から、ものすごく小さい「0・01カラットのダイヤモンド」という変わり種まで、工夫を凝らした商品を準備した。今はビワマスのカマが並ぶこともある。
迎えた11年9月の初日。午前10時に寺田さんが店を開けると、通りいっぱいに客の姿が……。商品は半日でほぼ売り切れたという。漬けもの店を営む小倉久代さん(68)は「商店街にお客さんが帰ってきてくれた」と感動した。客へのアンケートでは、「お店の人が楽しそうにしていた」との回答が最も多かった。
会場は自分の店先。定期開催で宣伝費もさほどかからないことも、15年続けられた理由だ。
記者が取材していると、ある店主は、店先を通り過ぎるお年寄りを見るなり、店を飛び出した。帰ってくると「すまん、あのおばあちゃん認知症だから。お隣さんが声かけてくれてたわ」と安心した様子を見せた。
寺田さんはお客さんとのつながりを「物を売り買いするだけの関係ではない」と話す。観光地化して訪日客が押し寄せる商店街も増えるなか、川魚専門店を営む北村康弘さん(63)は「イベントをきっかけに県外のお得意さんも増えた。昔ながらの景色がこの商店街にあるからではないか」と言う。
100円商店街の日以外は人がなかなか集まらないという声もあるが、寺田さんは「商店街の魅力を伝える良い機会になっているはず」と自信を見せる。子供とよく行くという大津市の女性(42)は「普段は入りにくそうな老舗の人とも会話ができるのがいい」と話した。
大正時代に創業した果物店の3代目の寺田さんは、大型店が人口が多い地域に次々出店する「動物」だとすれば、商店街は地域に根を張る「植物」だと考えている。「植物だからみんなに育ててもらいたい。何世代も続けて来てくれる常連さんも多い。人と人とがつながり、地域が良くなっていってほしい」と語る。
次回の100円商店街は12月5日に予定する。来年3月の次々回は50回目となるが、特別なことは計画していない。寺田さんは「いつも通りにしたい」と言い、力を込めた。「節目だから大きなことをするより、継続することが一番大事」
出典:読売新聞オンライン
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