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歴史探訪 大溝城跡(高島市) 「七頭」割拠 水陸の要衝

 大津市から福井県敦賀市へ延びる国道161号を北上し、湖上に大鳥居がある白鬚神社を過ぎると、一気に視界が開けて雄大な琵琶湖を望む平野部に出る。大溝城はかつてその地にあった。

歴史探訪 大溝城跡(高島市) 「七頭」割拠 水陸の要衝
大溝城本丸跡の石垣について説明する宮崎さん(滋賀県高島市で)

 4月下旬、滋賀県高島市勝野の大溝城跡周辺を歩いた。大溝は京都から若狭、越前などに通じる古代北陸道にある水陸交通の要衝で、琵琶湖畔に築かれた大溝城は内湖「乙女ヶ池」を堀や水路として利用した「水城」だった。

 戦国時代、同市一帯は「高島
七頭しちがしら
」と呼ばれる一族が互いに張り合いながらも共同で関を運営するなど割拠していた。その七頭のひとり朽木元綱は、織田信長の軍が朝倉義景と浅井長政に挟み撃ちにされそうになって撤退する「金ヶ崎の
退
き口」(1570年)で信長の逃走を手助けしたとして有名で、中江藤樹・たかしまミュージアム学芸員の宮崎雅充さん(50)は「信長はその際に高島の戦略的に重要な立地に改めて気付いたのでは」と想像を巡らす。

 信長が1573年に高島一帯を手中に収めると、78年にはおいの信澄が大溝城を築いた。設計は信澄に娘を嫁がせていた明智光秀が担ったとされ、宮崎さんは「出土した瓦は安土城と同じ文様で質もよく、信長が全面的に技術的支援をしたのでは」と話す。

 ただ城としては短命で、本能寺の変(1582年)の後に信澄が自害すると、城主の変遷を経て95年頃に取り壊されたという。

大溝陣屋の総門。2024年に復元された(滋賀県高島市で)
大溝陣屋の総門。2024年に復元された(滋賀県高島市で)

 城跡から5分ほど歩くと、江戸時代に大溝藩の初代藩主となった
分部わけべ
光信が三の丸付近に築造した「大溝陣屋」の総門に着いた。2024年に礎石や柱の痕跡から創建当時の姿を推定し、復元されたもので、総門内の「東部屋」では大溝城跡から出土した瓦などを展示。城の再現映像も上映している。

 江戸時代には城下町に上水道を各家に引き込むための古式水道が整備され、現在も活用されている。15年には、一帯を含む「大溝の水辺景観」として、国の重要文化的景観に選ばれた。また、城跡から約4キロ北にある同ミュージアムでは、信澄の
甲冑かっちゅう
や古地図など当時の資料約20点などを期間限定で展示している。

 「大溝城周辺は現在でも石垣や当時の地形、町割りなどが残っており、当時の面影を見ることができる」と宮崎さん。「江戸期の名残の水路もあるまちの奥深さを知ってもらいたい」と力を込める。

(角川哲朗)

 同ミュージアム(0740・32・0330)は午前9時~午後4時半で、月曜休館(休祝日の場合は翌平日)。

棚田保全酒に込め 福井弥平商店

 地酒「萩乃露」で知られる1751年創業の蔵元「福井弥平商店」(高島市勝野)では、棚田保全を目的とした純米吟醸酒「里山」を販売している。酒米を使用せず、滋賀で唯一「日本の棚田百選」に選ばれた高島市の「
はた
の棚田」で収穫されたコシヒカリを原料としており、日本酒を通じて棚田の現状や保全の必要性を訴える。

 約25年前から醸造を始め、酒米とは勝手が違うことから、米の洗い方や蒸し方などを工夫。口当たりが柔らかく飲みやすいことから人気を呼び、最近では韓国にも輸出している。

純米吟醸酒「里山」(滋賀県高島市で)
純米吟醸酒「里山」(滋賀県高島市で)

 福井毅社長は「酒造りは水がすべて。山に降った雨は田に入って作物を育て、そこで育った米を使って酒を造る。その流れを守っていくことが使命」と話す。

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