木箱、未確認の記録 発見
昭和の行事日程や世相 残る
湖国三大祭りの一つ「大津祭」の記録が書かれた「四宮祭礼
永代伝記」(大津市有形民俗文化財)の未確認だった巻が、大津市内の蔵で見つかった。調査した市歴史博物館の担当者は「大津祭が祭礼行事として整えられていく経緯を裏付ける貴重な史料だ」としている。(角川哲朗)
同伝記は、江戸時代から昭和30年代までの祭りの記録。くじ取り順や祭礼執行の日付といった祭礼の内容や、当時の世相などが祭礼行事の責任者を務める「当番町」によって記されており、同館の木津勝副館長は「大津祭の歴史を示す唯一といってもいい史料」と話す。
今回発見された巻は昨年9月、
「
」(玉屋町)の蔵で勘定帳4冊などとともに木箱に入った状態で見つかり、同館が中身を調査。これまでに確認されている1~8巻の続きとなる9巻目で、表紙に「四宮祭礼牽山永代記 九」と書かれており、昭和時代の1958~62年の祭礼記録のほか、61年の県立琵琶湖文化館の開館に合わせてお
を披露したことや、曳山が巡行される丸屋町商店街にアーケードが設置されたことなども書き残されていた。
9巻などが収められた木箱は、当番町が輪番で管理し、代々引き継いでいたもので、幅51・5センチ、高さ38センチ、奥行き35・5センチ。ふたの裏書きに「文化九」とあったことから、1812年(文化9年)に作られたものと判明した。
同伝記の1巻には「文化9年から曳山当番町を決め、記録や帳面の箱を大切に預かり、順に回す」などと各町が申し合わせた「定書」を作成したとあり、当番町制度の創設や当番町が祭りの記録や勘定帳を木箱に収納して引き継ぐことなどが書かれていた。今回見つかった木箱などはこの記載を裏付けるものとなった。勘定帳には、祭礼行事に使った費用が書かれており、代官所など関係者への謝礼や、記録用の紙の代金なども記されていた。
市歴史博物館によると、木箱が引き継がれなくなった経緯は不明で、公式記録が残されない期間もあったが、平成に入ってから「記録を残さないといけない」との機運が高まり、再び作成が始まったという。現在では当番町が毎年作成し、大津祭曳山連盟が保管している。
18日には、今回の発見について木津副館長が大津市内で祭りの関係者に報告。「コロナ禍で祭りがどう運営されたのかなどの記録は、後世にとって貴重な史料となる。そういう意識を持って書き留めることの大切さを感じてほしい」と訴えた。また、9巻には丸屋町商店街にアーケードを新設するにあたり、その場所を通る曳山の巡行路は変えないことを確認したという記述があることを紹介すると、参加者からは「面白い取り決めやな」などと笑いが起きた。
木箱が見つかった玉屋町の千石敏男さん(78)は「蔵の奥から出てきた時はどうしようかと思ったが、見つかってよかった」と振り返り、同連盟の船橋寛明理事長(64)は「歴史が分かって感慨深い。記録をしっかりと次世代に残さないといけないと改めて認識した」と話した。