守山の公園 4個確認
長崎に原爆が投下されてから9日で79年がたった。遠く離れた守山市では、市内の公園に8年前に植えられた長崎の被爆柿の木2世が今年初めて四つの実をつけ、関係者らを驚かせている。2015年に長崎市の樹木医から譲り受けた柿の木で、見守ってきた守山市遺族会の岡本勝一会長(82)は「実がつくかどうか不明と言われていたので、再生する力と奇跡を感じた」と話している。(名和川徹)
長崎から苗木「発信続けて」
市の市民運動公園・平和の広場に植えられている柿の木で、被爆70年を機に市遺族会が原爆被害の記憶を市民にも伝えようと、樹木医として長崎市で被爆樹木を守る海老沼正幸さん(75)から譲り受けた。親の木は爆心地の西約900メートルで被爆し、幹の半分が焼け焦げていたという。
海老沼さんは樹木の病気を治しながら、回復した被爆樹木から採れた種を育て、平和の象徴として苗木や種を国内外に送ってきた。守山市の柿の木もそうして送られた苗木の1本だ。
届けられた高さ約80センチの苗木は、市遺族会から市に寄贈され、16年3月に同広場に植樹。同広場にある「平和の祈り像」のモニュメントと、広島市から1997年に譲り受けた旧広島市役所の被爆敷石の間に植えられた。
柿の木は約3メートルにまで育ったが、これまで花をつけることはなかった。岡本会長らは「今年も難しいのでは」とあきらめかけていたが、5月に初めて開花した。6月下旬には緑色の実3個をつけているのを会員が確認。8月6日に岡本会長が改めて調べると、直径約5センチの緑色の実が全部で4個あるのがわかった。
連絡を受けた海老沼さんは「この木や実を見た子どもたちに、長崎から届けられた意味や経緯を伝えてもらい、滋賀県から3世、4世と、平和を発信し続けてほしい」と願いを託した。
一方、父親が終戦直前にフィリピン・ルソン島で戦死し、夏が来る度に亡き父を思うという岡本会長は「広島、長崎で生き残った被爆者たちも苦しみ続けているはず。戦争を二度と起こさないためにも惨禍を忘れてはいけない」と話し、「この木を大切にして、平和のシンボルとして受け継いでいきたい」と決意を語った。