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謎めく魅力安土城

 織田信長が夢と野望を込めた安土城(近江八幡市、東近江市)。天主(天守)の完成からわずか3年で焼け落ち、なおも多くの謎が残されたままだ。今年で築城開始から450年。現代の視点で「幻の城」の輪郭を捉えていきたい。

「絢爛で壮大」復元挑む 

謎めく魅力安土城
2026年に築城開始から450年となる安土城跡がある安土山(手前)。琵琶湖(奥)の内湖「西の湖」が近くにある(昨年12月、近江八幡市で、本社ヘリから)=河村道浩撮影

 陽光を浴び、
水面みなも
がきらめく琵琶湖の周りには、田園が広がる。東に伊吹山や鈴鹿山脈、西には比良山系があり、近江の国を空から見ると、その豊かさに気づかされる。

 織田信長は1576年1月、近江のほぼ中心にある安土山(198メートル)で築城に着手した。内湖に接し、のちの中山道となる街道が近くにあり、陸路の要衝だった。また、琵琶湖を水上バイパスとして利用できる好立地で、湖岸にはほぼ同時期に坂本城(大津市)、長浜城(長浜市)、大溝城(高島市)を親族と家臣に築かせた。

 79年には、7階建てともされる「天主」が完成した。信長の側近・太田牛一の「信長公記」などの書物や発掘調査の結果によると、
金箔きんぱく
を部分的に施したしゃちほこを配し、漆で赤く塗られた柱、狩野永徳の障壁画などが彩っていた。

 高層天主、高い石垣、瓦ぶきの3要素を本格的に取り入れた初めての城とされ、軍事拠点の城とは一線を画した。その豪華
絢爛けんらん
な高層建築は信長の権力の象徴とされ、南蛮人の目も驚かせた。安土を訪れたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは著書「日本史」の中で「ヨーロッパの最も壮大な城に比肩しうる」「彼らが天守と呼ぶ一種の塔があり、我らの塔よりもはるかに気品があり壮大。最上層はすべて金色」と記している。

 だが、82年に本能寺の変で信長が命を落とすと、半月もしないうちに天主は焼失し、85年には廃城となった。建物を描いた当時の図面は見つかっておらず、火災の原因も謎。これが「幻の城」といわれる
所以ゆえん
だ。

安土城の天主跡(昨年12月、本社ヘリから)=河村道浩撮影
安土城の天主跡(昨年12月、本社ヘリから)=河村道浩撮影

 県は、その姿を知る手がかりを得ようと、1940年に最初の発掘調査を行い、60~75年に石垣を修理。89~2008年には大規模な調査を行った。天主跡からは焼けた瓦や柱、金箔瓦などが見つかっている。23年度からは実像解明と保全を進めるため、県は20年がかりの「令和の大調査」をスタートさせた。

 信長が狩野永徳に安土城を描かせたとされ、ローマ教皇に贈られた「安土山図
屏風びょうぶ
」の行方も捜しており、23年には当時の副知事をバチカンに派遣。VR(仮想現実)など最新技術を駆使した復元にも取り組んでいる。

 安土城跡は「石垣しか残っていない」とも言われるが、その石垣や出土した瓦は近世城郭の先駆けである証しで、大坂城や姫路城にも取り入れられていった。さらに、軍事面よりも政治的な役割を重視した拠点で、産業や経済にも大きな影響を及ぼした。

 謎を含め、安土城がもたらした様々なものについて、これから見ていく。(林華代)

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[紹介元] YOMIURI ONLINE 謎めく魅力安土城