80回目の原爆忌を迎えた6日、県内でも広島と長崎の原爆犠牲者の
を祈る集いなどが開かれ、ウクライナや中東などで争いがやまない中、平和な世界の実現を願った。(林華代、河村真司)
核廃絶 祈り続ける
三井寺で法要 高校生ら懇談も
大津市の三井寺(園城寺)では慰霊法要が営まれ、市民ら約100人が参列した。1953年から毎年行われており、観音堂前で広島の平和記念式典の模様をラジオで聞きながら、原爆が投下された午前8時15分に全員が黙とうした。広島で歌い継がれている「ひろしま平和の歌」を唱和し、参拝者の平和の思いがつづられた短冊付きの風船を夏空に向かって飛ばした。
法要は堂内であり、福家俊彦長吏が「戦後80年を迎え、改めて核兵器廃絶と広島、長崎の平和への願いを語り継ぎ、次世代に伝えることを犠牲者の無上の供養となす」と法要の趣旨を読み上げた。終了後、福家長吏は「被爆者が亡くなる中、被爆2世、3世だけに被爆体験の継承を委ねるのでなく、多くの人が広島に興味を持ち語り継ぐことが重要」と呼びかけた。
続いて、平和への思いを共有しようと、「平和といのちをつなぐ集い」も開催。県立公文書館の大月英雄主査や高校生らが、福家長吏と懇談した。
大月さんは戦時中、金属供出命令で寺の
が回収された際、文化財として保存を求める県内の住職の文書や、保存に反感を持つ地域の人々の文書を紹介。「敗戦後、太平洋戦争に関する公文書は焼却処分を国に命じられ、元職員が戦後に県庁に戻した。戦争では文書が隠され、たどることができないこともあるので、後世に残していかなければ」と訴えた。
近江兄弟社高演劇部は、24日午後2時に大津市の平野コミュニティセンターで開催される「へいわのつどい」で平和に関する演劇を発表する予定で、その一節も紹介された。同部1年の女子生徒(16)は「若い世代の関心が薄まる中、若い人たちに戦争体験の継承者を増やしていきたい」と決意を語った。
長崎での被爆 女性が初証言
自作の詩も披露
平和といのちをつなぐ集いでは、長崎で被爆した大津市の女性(81)が「何か残さないと。今、証言するしかない」と体験を初めて語る場面があった=写真=。
女性は当時1歳で、長崎市の自宅で、祖母に抱かれていた時に被爆した。背後から熱線を浴びた祖母は背中が焼けただれ、6日後に亡くなった。自身も生えていた髪の毛が抜け、下痢が続いたという。また、ずっと温めてきた自作の詩「望郷(争いのない世界を)」も披露した。
〈ふるさとの稲佐の山に 吹く風はやさしい この風の
に争いがある… それは今も続いている ずっと…止まらない〉
〈戦が去って80年 生きている この青空の下 生かされている祖母の
を 今こうして生きている サンタマリアの鐘が鳴る 稲佐の山に鐘が渡る 大空の下 心おだやかな 日々を祈ろう〉
集いの後、女性は取材に応じ「人を憎まない、善悪を判断する心を持つ子どもに育ててほしい。争いは人の心で芽生えるものだから」と静かに語った。
平和の継承 改めて誓う
守山 小中生ら千羽鶴供養
守山市では、市民運動公園内にある平和の広場で「平和を誓うつどい」が行われ、遺族や小中学生ら約250人が参加した。
市は1997年に被爆した広島市庁舎の敷石を譲り受け、「平和の祈り像」の隣に設置するとともに、毎年つどいを開いている。今年は新たに「戦後80年平和持続祈念碑」を設置し、この日は除幕式も行われた。
つどいでは、守山市内から召集され戦死したり、空襲で亡くなったりした1035人の名前が刻まれた碑を前に、森中高史市長が「戦後80年の節目の年。今を生きる私たちが戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和な世界となるよう、しっかり継承していきたい」とあいさつ。小中学生らが像の前に千羽鶴を供えた。
また、平和への誓いとして、立命館守山中3年の女子生徒(15)が、紛争が続く世界各地の現状に触れ「私たちに何ができるか、何をしなければいけないかを考え続け、全国、世界へと伝えていかなければなりません」と述べた。本郷さんは幼い頃、亡くなった曽祖父から戦地で遭遇した爆弾によるキノコ雲の話を聞いたといい、「当時、今でも夢に見ると話していた。今ある幸せをありがたいと思い、(歴史を)勉強して受け継いでいきたい」と話した。